茨城の野球人へのインタビュー企画「茨城の野球人」
記念すべき第1回は、茨城県民球団設立準備室スタッフとして活動している「長峰昌司」さん。
Profile
名前 | 長峰 昌司(ながみね しょうじ) |
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誕生日 | 1984年8月8日 (38歳) |
出身 | 茨城県鉾田市出身 |
野球歴 | 串挽スポーツ少年団→鉾田南中→水戸商業→中日ドラゴンズ('03-'11)→オリックスバファローズ('12) |
長峰昌司さんは、水戸商業高校時代に甲子園へ出場後、2002年ドラフト5巡目で中日ドラゴンズへ入団。その後9年間プロ野球選手として活躍した。
小中高と茨城県でトップレベルの成績を残した選手が、プロの世界で何を見てきたのか。また、独立リーグの球団を茨城県で立ち上げる活動を始めた男は、新たなチャレンジに向けてどのような心境でいるのか−−。茨城県の野球界への想いを語ってもらった。
県内では常にトップの成績を残した学生時代
野球を始めたのは5歳の頃で、野球好きな父親と5歳上の兄の影響でした。
小学生の時は、鉾田市の串挽スポーツ少年団に所属していました。一番印象に残っているのは、小学6年生の時に、県大会で強豪「茎崎ファイターズ」との試合です。対戦相手に、身体は小さいのにやたらと動きが良くて、上手いショートがいたことを今でもはっきりと覚えています。私は、小学生から身体がズバ抜けて大きく、正直、周りには負ける気がしなかったのですが、その小さなショートの選手を見て、上手い選手がいるんだなぁと感じていました。
中学生の時は、地元の鉾田南中学校の野球部に入部し、最上級生の新人戦で、県大会優勝をしました。チームメイトが皆レベルが高く、素晴らしい環境に恵まれたので、自分が一番成長できた時期だと思っております。当時、自分が1番だと思い上がり、天狗になっていた時期もありました。しかし、中学最後の大会で、ポール直撃のホームランを打たれて敗戦した時は、自分の力の無さを実感しました。忘れられない試合でした。ちなみに、その対戦相手のピッチャーは楽天でも活躍した井坂亮平でした。
高校は、水戸商業高校へ進学しました。入学当時は、野球人生で初めて「こりゃ、無理だわ」と感じるくらいレベルの高い先輩達でした。
しかし、当時の監督さん(故・橋本監督)には1年生から起用していただき、とても感謝しております。甲子園にも出場しましたが、1番印象に残っているのは、やはり最後の夏です。決勝戦で常総学院と対戦して、前半5点リードしながら後半逆転負けしました。甲子園にあと1歩でしたし、逆転ホームランを打たれた相手選手が、なんと小学生の時に茎崎ファイターズで小さいけど上手かった選手でした。その選手は、今もプロ野球で現役で活躍をし続けている、西武ライオンズの大崎雄太朗です。
中学時代は対戦がなかったのですが、小さい頃から大きな壁になっていました。あの一球だけは忘れられないですね。
高卒2年目から1軍で活躍したプロ野球時代
一番印象に残っているのは、やっぱり2年目の初登板ですかね。序盤に大差で負けていた甲子園での阪神戦。同点で迎えた延長10回裏に登板し、金本さん、桧山さん、アリアスさんの三者連続三振。そのまま11回に逆転し、初登板で勝利投手となりました。マウンドで口の中が乾きすぎて変な感じになっていたのを覚えています。その後も、勝ち星がついたりしましたが、今振り返ると厳しい世界でした。
初先発の東京ドームでの巨人戦もよく覚えています。
先発を試合開始2時間前に伝えられて、緊張する時間もなく試合開始でした。今考えれば、森コーチ(現・中日監督)の優しさだったのかもしれませんね。
2対2で迎えた5回表に2アウトから連打で1、2塁となり、タフィ・ローズに3ランホームランを打たれ、負け投手になることを覚悟しました。しかし、その裏に先輩方が追いついてくださり、負け投手がなくなりました。結局その年は、2勝0敗で負けが付かずにシーズン終了しました。あの試合で負けが付いていたら、翌年以降のプロ野球人生がどうなっていたか分からないです。そんな厳しい世界でした。


引退後の現在は、地元茨城県で独立リーグのプロ野球球団設立に向けて活動中
現在は、アドバンフォースグループで働かせていただいております。山根社長に声をかけていただき、福祉の現場で働きながら、茨城県民球団を作るための活動をしております。
茨城県の野球の印象は?
少し前までは、全国でも勝ち上がっていける力のある県だと思っていました。私が高校時代は、茨城県から3校(第73回選抜・水戸商、常総学院、藤代)が甲子園に出場し、3校とも初戦を突破しました。近年では、常総学院が何度か勝ち上がっていますが、全体的に勝ち星が減っている印象を受けます。悔しいです。
しかし、変わっていないこともあります。私の高校時代もそうでしたが、本当にたくさんの方が球場に足を運んでくださり、素晴らしい雰囲気で野球をやらせていただいてました。野球ファンの方は、今も変わらず球場に応援に来てくださっています。茨城県の野球ファンの皆様に喜んでもらうには、茨城県代表のアマチュアチームが全国でも勝てる県になっていくことや、茨城県出身のプロ野球選手が活躍することだと思っております。そのためには、幼少期からしっかりとした練習をして、全体的にレベルが上がっていくことが必要です。
そのために、茨城県民球団を通じて、茨城県の野球界全体が盛り上げられるよう、私も微力ながら協力させてもらえればと思っています。

茨城県民球団に期待する事は?
今考えていることは2つあります。
1つ目は、茨城県出身の野球選手の野球を続ける環境が増えることです。
実業団、クラブチームと、たくさんのチームがありますが、その1つとして独立リーグの茨城県民球団を設立したいと思っております。
野球だけではなく、野球を引退した後でも、社会人としてしっかりと活躍していける人間を育てていきたいです。
2つ目は、茨城県の野球人口を増やし、親子でキャッチボールをする光景を目にしたいです。
私が小さい頃は、父親や兄とよくキャッチボールをしていました。
最近は、キャッチボールをする光景を目にする機会が激減した印象を受けます。球団で野球界を盛り上げる幅広い事業を行い、親子でキャッチボールをする光景が復活することを望んでいます。
これからの目標は?
茨城県民球団は、その名の通り、茨城県の皆様と作っていく球団にしなければいけないと思っております。現在、茨城県民球団設立準備室に、実際に球団を作った人間はいません。必死に知恵を絞ってますが、わからないことがたくさんあります。
県民の皆様のご意見やアイディアをたくさん頂戴して、茨城県民球団のカタチを作っていくのが今の目標です。