茨城の野球人

高野 翔さんの野球人インタビュー

茨城の野球人へのインタビュー企画「茨城の野球人」

Profile

名前 高野 翔(たかの しょう)
誕生日 1991年11月21日 (31歳)
出身 茨城県
野球歴 龍ヶ崎シニア→常総学院→流通経済大学→NTT東日本

名門 常総学院で甲子園に出場、流通経済大学ではベストナイン・盗塁王に輝き、社会人野球の名門NTT東日本へ。

まさに野球エリートと言える高野翔選手にお話を伺いました。


野球を始めたきっかけ

父(NTT信越で投手として活躍)の影響ですね。3歳くらいからボールを握っていて、小学1年生からきちんと始めました。父には小さい時から、現在に至るまでずっと応援してもらっています。本当に心強いですね。


野球と陸上の二刀流

中学では龍ケ崎シニアに入りました。他の友達が楽しく遊んでいるのを横目に、自分は野球の苦しい練習に明け暮れていました。ちょっと羨ましいなぁと思ったりもしましたが、大会などで好成績を残すと周りの友達が褒めてくれたりして、やっぱり野球をやっていて良かったなぁと思い、より野球が好きになりました。

また、土日に龍ケ崎シニアで野球に打ち込むのと同時に、平日は学校の陸上部に所属していました。中学2年の時に100メートルで県優勝したりもしましたね(最高タイム:11秒3)。横浜の日産スタジアムで陸上の大会(ジュニアオリンピック)があったのですが、その翌日に横浜スタジアムで野球の試合が組まれていたんです。他のメンバーとは別に、電車で野球のユニホームを着ながら一人で移動したのは今でも忘れられないですね(笑)


忘れられない試合は

高校2年の夏の県大会の決勝ですね(対 霞ヶ浦高校戦)。土壇場の9回2アウトから同点に追いつき、延長の末甲子園を掴んだ試合です。本当に厳しい試合でしたので、勝利した喜びが格別に大きかったですね。


父と同じ道へ、そしてケガとの闘い

流通経済大学を卒業後、父と同じNTTへ入社する事になりました。その時、父は泣いて喜んでくれました。自分自身も父と同じ道を歩める事をとても幸せに感じました。

しかし、入社1年目に腰を故障し、椎間板ヘルニアの手術をしました。その後1年くらい野球が出来ない日々が続き、リハビリを経て、昨年やっと試合に出場できるまで戻ってきました。今でもストレッチをより入念に行ったりと大変な部分もありますが、両親をはじめ、支えてくれた方々の事を思えば、辛いと思うことはありません!


野球をしている子ども達へ

怪我や、思う様にいかない時などは野球を辞めたいと思う事もあるかとは思いますが、頑張って続けて行けばいろいろな事が学べると思います。環境が許す限り、自分を信じて、納得するまで野球を続けてください!


BCリーグについて

茨城の球団が強くなり、「茨城といえば野球」というのを全国に知らしめて欲しいです。

それにより、野球を始める子どもが一人でも多くなって欲しいですね。


甘いマスクで、かつ、とても爽やかな好青年でした。きっと沢山の女性ファンがいるのではないかと思います。お父様を始め、支えてくれている方への感謝を常に思いながら謙虚に頑張っている高野選手を是非応援してください!

(インタビュー 倉持智弘)

茨城アストロプラネッツオフィシャルサイト