茨城の野球人へのインタビュー企画「茨城の野球人」
Profile
名前 | ラファエル フェルナンデス(らふぁえる ふぇるなんです) |
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誕生日 | 1986年4月23日 (37歳) |
出身 | ブラジル サンパウロ州サンパウロ出身 |
野球歴 | カントリーキッズ高校→白鴎大学→東京ヤクルトスワローズ→ニッポン・ブルージェイズ→愛媛マンダリンパイレーツ |
WBCブラジル代表の選手が茨城県にいます。
大学から来日し、東京ヤクルトスワローズで5年間プレーし、WBCの国際大会も経験した選手です。
虎視眈々と再度プロのマウンドを目指して努力し続ける「ラファエル・フェルナンデス」選手に取材をしました。
野球を始めたきっかけ
7歳の時に野球映画を見て、野球というスポーツに興味を持ちました。10歳の時に同じクラスの友達から誘われて、野球のチームに入りました。
ブラジルは、学校に部活動という文化がないため、野球のクラブチームに入りました。
中学から高校1年までは、ずっと同じクラブチームで、高校2年で野球アカデミーに入った。
野球アカデミーは、別々の高校に通い、別々のクラブチームに所属している選手が、アカデミーに集まって練習をしてます。
当時は、スカウトがアカデミーにくるので、上を目指す人は、必ずアカデミーに入ってました。
中学生の時にブラジル代表に
初めてブラジル代表になったのは、中学生の時です。
ボーイズリーグの世界大会でした。日本代表では、ダルビッシュがいたのを覚えています。
その大会でブラジル代表が初優勝したのですが、この時以来優勝はしていないみたいです。
日本に来たきっかけ
ヤクルトのスカウトの方が、日本の大学を推薦してくださったので、栃木県にある白鴎大学に進学しました。
(ブラジル人留学生4人と)
日本に来たときは日本語が一言も話せなかったので、コミュニケーション、食生活、先輩後輩の上下関係に苦労しました。やっと慣れたなと思った頃には卒業でした(笑)
大学最後の大会にスカウトの方が見に来てくださり、ヤクルトから指名を受けました。当時怪我をしていたので、育成枠での入団となりました。
NPBの思い出
4年間プレーして、楽しい思い出ばかりでした。
練習やキャンプなどの辛い練習や、結果が出なかったり、結果が出てもチャンスが来ない時は辛かったです。
ただ、練習をした成果が出た時は、野球の楽しさを感じていました。
もう一度NPBでプレーしたいです。
ブラジル代表として、WBCの思い出
17歳の時にトップチームのブラジル代表に選ばれました。
この頃はWBCは開催されていなかったので、キューバで開催された世界大会に出場しました。その大会は少しだけ投げました。
ブラジル代表がWBCに出場できるようになったのは、予選会が始まった第3回大会からです。2012年の予選会で勝ち上がり、2013年の本大会へ出場できました。この時の初戦の日本代表相手に先発した福岡ドームの試合は、一番の思い出です。
結果は、3回1失点でしたが、いいピッチングができたと思ってます。
茨城に来たきっかけは
結婚です(照)。嫁の地元が茨城県なので、嫁の仕事の関係で茨城に来ました。
現在は、もう一度プロ野球選手を目指して、一般企業で仕事をしながら毎日自主トレを行なっています。11月のNPBのトライアウトや、ウィンターリーグに向けて準備をしています。
茨城球団に期待すること
縁があって茨城県に来ました。この土地から、選手として再スタートをきったので、球団設立は選手としてチャンスだと思ってます。これまでいろんな事を経験してきました。NPBでもプレーしましたし、世界大会でメジャーリーガーやNPBのトップ選手と対戦して来ました。この経験を地域の方々へも伝えていきたいですし、チャレンジャーとして、もう一度野球を挑戦できる場を作って欲しい。
今後の目標
2020年の東京オリンピックの出場を目指してます!
オリンピックのマウンドでブラジル代表として出場することが今の目標の一つです!最近は、表に出てないので引退したかと思われているかもしれませんが、茨城の地でもう一度マウンドに上がるために準備してますので、応援よろしくお願いいたします!
目標へ向かって真っ直ぐな気持ちと、目標へ向かって毎日の自主練習を行う行動力は、私も刺激を受けました。
国際経験が豊富な一流選手が茨城県の野球界へ貢献していただけることを期待したいです。
そして、縁があって茨城に来たフェルナンデス選手を今後も応援していきます。
インタビュー:山根将大